佐藤公平(さとうこうへい)

佐藤公平(さとうこうへい)

1985年(昭和60年)3月20日生れ。

福島県の川俣町で、250年くらい続く農家の長男に生まれ、「家督」として祖父母や親せき、隣近所に育てられる。

川俣町立福田幼稚園に在園中、なぜか鉄棒の「逆上がり」に熱中。毎日練習を繰り返し、連続逆上がりができるまでに習得した。思い返すと、これが自分の学びの原点であった。

川俣町立福田小学校在校の6年間は、野山を駆け回る天真爛漫な小学生であった。

川俣町立川俣中学校での3年間は、部活動で疲れた印象が強い。町の研修でドイツに10日間ほど行ったが、これが、世界や異文化知るとても良い経験となった。高校受験ではどこを受験すべきか定まらず、思わしい結果とはいかなかった。

学校法人松韻学園福島高等学校には、片道17㎞の山道を、行き1時間、帰り1時間半かけて自転車で通学したのが一番の思い出である。季節の移り変わりを体で感じることができ、良い経験となった。

小学校6年から高校3年までの7年間を皆勤で過ごした。体が丈夫な証拠である。

大学受験では、ある地元国立大学の経済学部に合格したが、法学部に行きたかったことから、辞退して浪人生活に入る。

結果として、学校法人尚志学園専修学校福島高等予備校福島校に2年通うこととなる。(この2年間も自転車で通学した。最後の1年間は、バイパスとトンネルができて通学が快適になった!)浪人1年目には多くの大学を受験したが全て不合格。滑り止めの滑り止めに受験した、ある国立大学の外国語学部に、最低合格点に0.5差で不合格するという経験をした。0.5点のためにもう1年の浪人生活である。

浪人2年目は、さすがに勉強量が周りと比べて多くなっているということもあり、かなり成績が良くなった。偏差値が70を超え、順位も2桁に入るようになった。この経験によって、やればできる!勉強には質も大切だが量も大事!という学びを得た。(せっかく沢山勉強したのだが、今ではそのほとんどを忘れてしまった・・・。)

受験の結果、学習院大学法学部に入学することとなった。第一希望ではなかったが、4年生の時に、不思議なご縁による導きによって入学することになったということを知った(この経緯が知りたい方は、国立国会図書館所蔵の「地中海歴史風土研究誌第49号『天の配剤か?ー見えないものの力』をご覧いただければと思います。)大学では、予備校時代の勉強癖が抜けず、様々な授業を履修して、卒業までに、必要単位の約2倍の単位を取得した。中でも、元々外国語が好きだったこともあり、12か国語を履修して単位を修得したことは良い思い出である。

大学卒業後は、「家督」ということもあり、家業である農林業の手伝いを始める。2年ほどの経験の後、社会性も身につけたいと考え、同時並行で平日は行政機関等でアルバイトを経験した。数年後、体を壊したことをきっかけに、別にご縁があった「日本茶インストラクター」の試験を受験。難しい試験と言われているが、大学受験の経験が活かされたか、試験勉強3日間にして合格した。

日本茶インストラクターの試験を受けるに際して、テキストを読んでも全く実感が湧かなかったのが、茶の栽培と製造について。自分が分からないようでは人に伝えることはできないと感じ、どこかでお茶の仕事がないかと探したところ、縁あって京都の地で仕事を見つけた。

現在では、福島と京都を拠点に、世界中でお茶について伝える仕事ができるようになるよう奮闘中。

日本茶インストラクター佐藤公平の講座の詳細は、こちらのボタンを押してください。

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